今月のメンバーの一言 更新日2006年5月19日
今回は小原沢氏です。パチパチパチーーー!
〔鎌倉のタウンアーキテクトたち〕
布野修司さんの著書「裸の建築家」より「タウンアーキテクト」についての紹介。
日本語ですと「まちの建築家」でしょうか
布野さんは本の中で、
『・・・・・・・様々な問題があるが、地域住民の意向を的確に捉えたまちづくりを展開する仕組みがないのが決定的である。そこで、自治体と地域住民のまちづくりを媒介する役割をもつ「タウンアーキテクト」という職能を考えてみる。何も全く新たな職能というわけではない。その主要な仕事は、既に様々なコンサルタントやプランナー、「建築家」が行っている仕事である。ただ、「タウンアーキテクト」は、そのまちに密着した存在として考えたい。必ずしもそのまちの住民でなくてもいいけれど、そのまちのまちづくりに継続的に関わるのが原則である。
それでは何故「アーキテクト」なのか、大きくは二つの理由がある。一つはまちづくりの具体的表現としてまちの景観が大事だということである。「建築家」は複雑な諸条件をひとつの空間やイメージにまとめあげる能力にすぐれている。あるいはそういうトレーニングを積んでいる。もちろん、ここでいう「アーキテクト」は、「建築士」ということではない。(中略)誰もが「タウンアーキテクト」になりうるのである。
(中略)国家的なプロジェクトや国境を超えて仕事をする建築家は必要であるし、民間の仕事はまた別である。しかし、「建築家」の仕事の原点は「タウンアーキテクト」にあるのではないか、ということである。単なる「まちの建築家」として、あるまちで建築の仕事をしているというだけでなく、プラスアルファが欲しい。かつて、大工さんや各種の職人さんは身近にいて、家を直したり、植木の手入れをしたり、という本来の仕事だけでなく、近所の様々な相談を受けるそういう存在であった。その延長というわけにはいかないけれど、その現代的蘇生が「タウンアーキテクト」である。・・・・・』
(下線は追記)
他に布野さんは、著書の中で、僕が以前、会の中で箱根の国立公園の中での設計の経験からの形態意匠の規制について少し言わせてもらいましたが、布野さんも同じような思いが書かれていました。内容はほとんど同じですので、ここではふれませんが、それぞれの地域、地区ごとに考えるもので景観行政についても、「タウンアーキテクト」のセンスが必要だとのことです。
最近僕の友人が行政から「マスターアーキテクト」に指名されましたが、この「マスターアーキテクト」と「タウンアーキテクト」は全く別のものです。「マスターアーキテクト」はかつて内井昭蔵さんが滋賀県立大学で行ったように、本来、ある任期やプロジェクトを対象に一人に権限を委ねることが多いようです。この制度がうまくいくかは、行政がしっかりと権限を与え、どれだけ彼の感性に委ねられるかによるのではと思っています。
一方、「タウンアーキテクト」は、より地域に密着して継続的に地域社会の中で活動する建築家で、複数がなじみます。布野さんが「裸の建築家」(「王様」のように威張っているけれど、まるで「裸の王様」のように何も身につけていない)と揶揄している偶像と化した従来の「建築家像」の次の可能性を求めています。
という訳で、この「タウンアーキテクト」という言葉にはなかなかの可能性を秘めているのです。
JIAが職能として「建築家」を打ち出せば、打ち出すほどその存在は遠いものとなり、そして相変わらず、UIAの方を向いている。一方で若手の住宅作家を中心に、大衆向けの雑誌やインターネットを背景に「建築家」が少しずつ一般に近づいてきているという皮肉な状態になっています。しかし、「建築家」がまちと拒絶して家の内へ内へと入っていけば良いというものではもちろんありません。こういう時に、まちに出た建築家(どこかのコピーで見たことがあるような)でしょうか。「タウンアーキテクト」という概念をもっと気軽に使ってもいいのではないかと僕は思っています。それこそ「タウンページ」のような感覚で。『誰もが「建築家」であり、「タウンアーキテクト」でありうる。』という布野さんの言う通りに。「建築家」が「裸の王様」であり、専門分化していく中で、一人では何もできない。「建築家」が自らを「裸の王様」と認める(多くの人がわかっていることですが)ことから、新たな「まちの建築家」としての概念が始まる。
景観法ができたりしましたが、景観デザインも、もはや行政だけで杓子定規に取り扱える時代でありません。これからは、自治体と住民の間で、ますます「タウンアーキテクト」が必要となってきます。
(みんながまちにちらばるタウンアーキテクト 2004.2月 小原沢俊之)